日記はじめます。

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    そういえば、過去の日記を掲載すると以前に言っていたまま、
    最初の頃の日記をチョコっとご紹介したままで終わっていました。

    仲間内の非公開サイトで日記と言うか、
    サボることが多い月何回か記を書いて約15年。
    そこのサイトも閉鎖されることになり
    どこで書こうかと思っていましたが、
    別に私ごとき者のつぶやきが世に大きく影響を与える訳でもなく、
    影響を受ける人がいる訳でもないので、
    非公開にこだわることもないなぁ〜と気づきました。

    なので、ここの渕和分教会のブログで書けば良いんだと。
    至極当然な結果に至り、これから自由気ままにこちらを使わせてもらいます。



    2月の最終日。月末の日数が少ないのって困りますよね。

    毎月、浦和支部報を作成しているのですが、
    月末には各担当者から掲載記事が集まり、
    ボチボチとまとめていきます。

    2、3日分の仕事が凝縮される気がして
    チョッピリ気が急きます。

    事務作業だけしていれば良いんですけど、
    土日で子供達もいて、たまにこうして
    家にゆっくりいられるとなると、
    ちょっとは家族サービスもしなきゃいけないかなって
    天使か悪魔か分からない私が囁きます。

    子供と遊べば自分の首を絞めるし、
    次いつ遊んであげられる日が来るやら分からないし。

    前回は公園に連れて行って、バスケットボールしたっけかな。
    その日だけでなく、後々筋肉痛にも泣かされたっけな。

    でもお父ちゃんはがんばらねば!
    いけ!お父ちゃん!
    がんばれ!お父ちゃん!
    きっと苦労に報いる様な未来があるさ!!!

    と自分を鼓舞する土曜日の昼時。

    えいじ日記 2002年11月22日(金)

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      プロと言うのは・・・。 2002年11月22日(金)

      プロ(専門家)って言うのは凄いですね。
      
今日はカルガモ母さん(※1)の書道の作品を撮影しに
      プロのカメラマンがうちに来ました。

      
すごい細かい所までこだわって、
      ダメな物はダメとハッキリしてました。

      
うーーーん。

      お道(天理教)のプロとしてあそこまでこだわって、
      
自信を持って仕事したいと思いました。
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      ※1 カルガモ母さんとは、ご自身が重度脳性麻痺の障がいを抱えながら
      5人の子育てをして、テレビなどに取り上げられた方です。
      本名を川上美也子さんと言われ、私共と同じ天理教を信仰する方でもあります。
      「カルガモ母さんが飛んだ」、「カルガモ母さんが舞う」などの
      本も出してます。また、書道家としてたくさんの作品を生み出されました。
      その作品の中から東京都知事賞を受賞した。
      この頃、彼女の作品を、渕和分教会でお預かりしておりました。




      クロネコヤマトの宅急便の会社の創業者である小倉昌男さんが設立した
      ヤマト福祉財団では障がい者を支援しており、この時、カルガモ母さんが
      ヤマト福祉財団と交渉して、写真集を作成したんだったっけかなぁ?
      そして、作品を撮影しに来られた訳です。

      たくさんの作品があるので一日がかりでやってました。
      照明の当て具合、作品の高さや角度。
      素人じゃ分からないですが、一つ一つ丁寧に撮影してました。

      プロの姿を間近で見て、自分自身もこうありたいと思った事が、
      今でも厳然と私の心の芯になってます。

      えいじ日記 2002年11月20日(水)

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        南国 2002年11月20日(水)
        沖縄に2泊3日で行って来ました。
        
Tシャツで過ごした。
        ソーメンチャンプルが美味かった。

        泡盛は飲みすぎた。
        戦争の爪跡を見た。
        
メインの国際会議はちょっとおろそかになってしまった。
        
良い旅だった。
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        はぁ〜懐かしいですね。

        沖縄良かったです。

        たった一度の沖縄。

        EMの国際会議に参加しました。
        比嘉教授の話しを聞いたり、読んだりするだけじゃなく、
        実践されている現場をアチコチ見て回りました。

        抗酸化作用なんて言葉も、
        この時初めて覚えました。
        今じゃ、当たり前のようにテレビで言われている言葉ですけどね。

        EMの普及は本当に取り組まなければいけないと思ってます。
        今の異常気象でさえも大きな動きでEMに取り組めば、
        もっと緩和されるはずです。

        改めてあの時の感動を思い出しました。

        えいじ日記 2002年10月21日

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          夫婦の心  2002年10月21日(月)

          数日前に嫁さんと意見が合わずに言い合ってました。

          
忙しさにかまけて、あやふやにしたまま
          お互い良い気分でない日々を過ごしてたわけです。

          
親神様も道一条(天理教の布教師としてのみで生計を立てる事)
          の人間には手が早いと言うか、早速お手入れ頂きました。

          
一昨日の晩に長男が39度の熱が出て大変でした。

          僕は東京に居て、
携帯のメールに連絡が入り、
          早速反省しながら帰路につきました。
          
帰って早速おさづけを取り次ぎましたが、
          いつもの様にすんなり効いてくれません。

          
こりゃ話し合いが必要だと、2人で夜中に話し合い始めました。


          「この原因はなんだと思う?」

          との問いかけに、

          「熱やから女が強いからうちが悪いって
言いたいんやろーー。」

          なんて、この間のことまだ根に持ってツンケンしてましたが、


          「いやーお前だけ悪いなんて一言もいっとらんやろ。
          神様も二人の心をおさめいよと
言われるわけだし、
          子供の身上は夫婦の心がおさまってないからだろう。

          よく熱は心の摩擦と聞かせて頂くし、
          こりゃ俺とお前の心の摩擦が熱になっとると
思うよ
          だから言いたいこと言ってわだかまりを無くした方が良いだろう」

          と、
先日話し合っていた事をもう一度話し合いました。
          
(教会へのお供えのことなんだけどね。)

          眠い目をこすりながら随分話し合って、
          
もういい加減眠たくなってきて、
          息子も汗をかいてビショビショなので服を着替えさせて
          
熱を測るとなんとまぁ神様は早くも御守護下さり37度に熱が下がってました。
          
またまた、ありがたいやら手痛いお仕込みに感激のことでした。
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          自分で言うのもなんだけど、純粋だなぁ〜。
          今じゃ、子供が熱だしても夫婦で話し合うなんてしないよなぁ〜。
          若いって素晴らしい!(なんちゃって)
          経験を重ね、色々と慣れてきたんでしょうか?

          最近の私達夫婦の話し合いと言えば、
          里子ちゃんの事や、信者さんの事。
          我が子の事も勿論話し合いますが、
          ずいぶんと割合が少ないですね。

          自分達の事で悩む事がスゴく少ない事に改めて気がつきました。
          「人たすけたら我が身たすかる」
          って、お道(天理教の教え)の神髄ですが、
          本当にそうなんですね。




          教会長になってからは、21日は毎月大阪に参拝に来ているので、
          この頃は埼玉で留守番だったんだと、変な所に関心がいってしまいます。

          久々のえいじ日記どえす!

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            ドミニカ共和国2  2002年06月28日(金)

            たまの書き込みですいません。
まとめて書きます。
            さてさて、カリブ海に浮かぶ島、
            ドミニカ共和国へ向い
ニューヨークを後にした。
            まだまだ肌寒いニューヨークからたった5時間。
            
ドミニカ共和国が近づくと、
            下の世界は朝までの大陸の景色と打って変わって、

            南国の綺麗な海に囲まれ、自然豊かな島だった。
            立ち並ぶ家の屋根はトタンで
日射しが反射して眩しい。

            今回ドミニカ共和国とAAAを橋渡ししてくれた
            
白石さんが飛行場まで迎えに来てくれた。
            英語圏しか訪問したことのないAAA一行は
            
初めてのスペイン語圏に当惑し、
            不安であったので、白石さんの登場は格別に嬉しかった。


            空港を出るとその湿度と熱気に息することさえ苦しく感じられた。
            
白石さんの運転でホテルへ向う。

            あーー。南国なんだ!と実感させられる景色、
            
ヤシの木が道路沿いに植えられ、
            その向こうには澄み切った水平線が限り無く続いていた。

            
事前の打ち合わせでは、日程に観光などは入れないで
            視察に重点をおくことで
連絡を取っていた。
            しかし、車の中で白石さん曰く、
            「議会の選挙とサントドミンゴ(首都)
の市長選挙が明日あるので、
            今日から明後日まで、国自体が休日で、動きようがないから
観光してもらいます。」
            と、
            思わぬ日程変更でいきなりリゾートホテルに連れていって
もらった。
            そこで表のドミニカ共和国を味わい、堪能させてもらった。
            
お客はほとんどがヨーロッパの人達だった。

            まだまだ、この国は日本人には遠い南国なんだろう。
            そんなに日本人を見かけない。
            
波打ち際に立って、改めて海の綺麗さに心奪われた。
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            あ〜〜〜。今思い出しても心洗われる様な、
            真っ白な砂浜とどこまでも透明な海。
            ドミニカ共和国の海に勝る所に未だ出会いません。
            機会があれば、もう一度行ってみたい国です。

            この時、AAAは障ガイ者の方々を支援しました。
            車椅子でバスケットをする青年さん達の迫力には
            言葉を失う程でした。
            ドミニカ共和国パラリンピック名誉顧問という立場を頂戴し、
            その時の記念のプレートが貼ってある木彫りが、
            渕和分教会の玄関に飾られてます。




            えいじ日記、久々に再開しました。
            なかなかコンスタントに続きません。
            また、乱文でご迷惑をおかけしますが、
            よろしくお願いします。

            えいじ日記2002/5/26(日)

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              ドミニカ共和国 2002年05月26日(日)

              AAAアジア&アフリカ※1(以下AAA)で行きました。
              AAAとすると収穫が多い旅でした。
              初めてのアメリカ方面で感激が多すぎるぐらいでした。
              まず、経由地のニューヨークはただただ唖然とするほどの大都市で、
              なるほど世界一の都市だと思わせる風貌で出迎えてくれました。
              マサアキ(高校の同級生)にも無事に会えて、
              元気な姿に勇気付けられました。
              テロのあったグランドゼロにも連れていって下さいました。
              世界一の大都市で頑張っているマサアキに頭が下がりました。
              次回、ドミニカ篇、続く!!
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              私の結婚は2000年6月でした。この頃から、
              アフリカだけじゃなく、アジアや中南米カリブ海地域の
              ドミニカ共和国にも伝手ができました。
              知り合いがいる。あるいは伝手があるということがありがたく、
              今回の東日本大震災でも、やたらめったら何処へでも入れるもんじゃなくって、
              やはり、足掛かりとなる伝手や知り合いのある事が大切なことでした。

              因に、ここの日記には残ってませんが、2000年、2001年には
              スリランカ、インド、バングラディッシュ、シエラレオーネにも
              AAAとして救援物資を送り、
              スリランカとインドには視察団を派遣して、物資の贈呈式を行っています。

              お陰様で私達の新婚旅行はスリランカへ行きました。
              2001年に産まれた長男は、そんな色々な地域との繋がりが広がったことから、
              “拓人”と名付けました。



              ※1 AAAアジア&アフリカとは、父である前会長が創設し、母が代表を務める海外救援NGO
                当時、私は事務局長でした。
              主な活動は、
               国内ではグローバルリサイクル活動と称して、
                家庭内で使わなくなった(決して“いらなくなった”ではない)、衣類、眼鏡、ピアニカなど
                弟がお兄ちゃんのお古のセーターを着るように、まだ使用出来るけども使えなくなった物を
                海外で簡単に購入出来ないで生活している方々に使ってもらう活動。
               海外では、井戸掘りや学校建設、植林、教育支援、炭焼きプロジェクトなどなど色々と活動してます。
              詳細は、www.aaag.org

              えいじ日記2002/5/11

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                第3回アフリカおたすけ隊のビデオですね。
                毅史がまだ働いていた頃かなぁ〜。
                もう辞めてたかな??
                テレビの編集をする会社に勤めてました。
                忙しい中、合間を縫って前会長の想いを実現してくれてました。

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                ビデオ化  2002年05月11日(土)

                お待たせしました。おたすけ隊のビデオが完成しました。
                注文受けつけてます。どしどし、御注文下さい。

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                前会長がいる頃は、本当にマメに動いてました。
                あのパワーはなんだったのか?
                私はまだ、前会長が道一条になった年にもなってません。

                変に
                周囲の空気を読む?
                迷惑をかけない?
                周囲への気遣い?
                を言い訳にして、自分が良い子でいたいだけなのかも知れません。

                そんな自身を振り返ると、
                若い頃って、やりたいことをやらせてもらえたんだなぁ〜と、
                前会長への感謝の心が湧いてきます。
                年を重ねても、いつまでも青年のような心で
                貪欲におたすけに邁進する姿は、
                私に無言の仕込みをして下さいます。
                今、教会長になって10年。
                私はこのままで本当に良いのかなぁ〜?
                と、ふりかえってみると教祖(おやさまと読みます。天理教の教祖のことです)
                に申し訳ない通り方をしているんじゃないかと
                改めて反省させられます。

                えいじ日記2002/4/8

                0
                  早くも2002年に入りました。
                  過去の日記です。私自身のふりかえりです。お付き合い下されば幸いです。
                  若かりし頃なので、あらゆる面でまだまだ未熟な(今もですが)私です。
                  笑ってやって下さい。


                  アフリカおたすけ隊 2002年04月08日(月)

                  報告遅くなりました。すいません。
                  今回は1月27日〜2月25日までの1ヶ月間でした。
                  ケニアとウガンダに滞在しました。
                  おたすけ隊ですから、もちろんおさづけ(病人を対象に平癒を願う祈り)
                  をお取次ぎすることが目的でした。
                  昨年は7名の参加でしたが、今年は15名の参加者でにぎやかに楽しく旅ができました。
                  内容はビデオにまとめておりますので、
                  どんなことがあったかビデオで見ていただくのが一番です。
                  ビデオ希望の方は言って下さいね。
                  とにかく凄いです。
                  おさづけが効いて、効いて、村中で引っ張りだこでした。
                  おたすけ隊全体でこの1ヶ月に500名以上の方におさづけを取り次いだ事になります。
                  まだまだ、世界中には天理王命(http://www.tenrikyo.or.jp/jpn/?page_id=31)
                  の神名を知らない人が多く、
                  もっともっと世界に向けて布教活動する事が必要だなぁと実感しました。
                  僕の大好きな教祖伝逸話篇(天理教教祖の200編の逸話を収める書物)は
                  168「舟遊び」です。
                  皆さんも1度、目を通して下されば幸いですが、
                  教祖は舟遊びと言う言葉を使っておりますが、船で海外へ出てみたいなぁと仰いました。
                  そして、
                  「わしが舟遊びしたら、2、3年は帰られぬやろうなぁ」
                  と、助けて頂きたい人が大勢海外に待っている事を言っていると僕は思うのですが、
                  そう、仰られているんです。舟遊びしてみたいなぁ・・・。
                  と言う事は、やりたいけど、できなかったんです。
                  ですから、WEB OYASATO(高校の同級生のページ)には数名の方が海外で活躍しておりますが、
                  その人達、また、多くの海外で活躍されているようぼく(http://www.tenrikyo.or.jp/jpn/?page_id=170)
                  はおたすけ活動をされているのですが、
                  教祖の夢をかなえているようぼくだと僕は勝手に解釈してます。
                  非常に極端な言い方ですが、そう思えたんです。
                  地域の活動も大切ですから、それぞれに意義があるのですが、
                  もし、実働と言われても何をして良いか分からないよーー!と言う方は、
                  どうでしょう?海外布教を目指して見ませんか?
                  海外と言う言葉は非常に日本的で個人的には嫌いですが・・・。
                  (海に四方を囲まれている国は世界的には少ないですから、
                  他の国では、地つながりで別の国に行けるので、
                  別の国を海外という言い方しないですからね!)






                  これは第3回アフリカおたすけ隊の帰国後の感想だと思います。
                  アフリカとの繋がりを頂戴して、色々体験させてもらう中に、
                  「船遊び」のお話しがちょっとずつ胸に沁みるようになりました。
                  でも、その一番最初は高校時代に海外部の先生のお話しの中に
                  あったものの影響だと思います。
                  天理教校親里高校は海外で活躍する人材を育成する為に
                  作られた学校だと聞いてましたから、たぶんにあり得ることです。
                  が、高校時代、決して真面目な生徒ではなかった私には、
                  何処の誰の話しなのか、全く知る由もないのでございます。
                  悪しからず。

                  えいじ日記2001/12/21

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                    クリスマス 2001年12月21日(金)

                    世の中クリスマス一色だねぇ!
                    連休も重なり、凄いねクリスマスったら・・・。
                    しかし、日本人は頭が良いねぇ。
                    こんな行事で経済効果上げようってんだから。
                    そんで、日本人はおめでたいねぇ!
                    まんまと商売人の術中にはまって経済効果あげてんだから。
                    良い事だ!!素晴らしいです。
                    天理の本通りは、また別の意味で凄いけど・・・。
                    4/18(教祖御誕生祭だよ!)も、本通りだけ潤うのでなく、
                    世界中が潤う日になるように頑張らねば!!!!!
                    と、改めて反省する今日この頃。





                    日本だけじゃなくって世界中ですよね。
                    商売される方の営業努力ですよね。
                    まったく「おめでたいねぇ」なんて、失礼ですよね。
                    反省です。
                    若気の至りとご容赦下さいませ。
                    しかし、もっと反省は日記にあるように、
                    世界中の方に天理教の教祖の素晴らしい生き様をご紹介し、
                    生涯かけて教えて下さった、
                    地球上の命あるもの同士が助け合って暮らす
                    “陽気ぐらし”の世界を実現する為に、
                    私達、天理教を信仰するものが
                    しっかりとにをいがけ(布教活動??)することですよね。
                    私自身、その足りなさを10年以上経っても未だに反省ですね。

                    えいじ日記2001/12/17

                    0
                      せっかくの年賀状が・・・ 2001年12月17日(月)

                      今年は珍しくと言うか、生まれて初めて、年賀状を早めに作った。
                      子供も産まれたし、ちゃんとしようとの考えだったが、
                      13日に祖母が出直し(※1)た。
                      おばあちゃんが死んだ事もショックだったが、
                      昨日葬儀も終わり、ふと、喪中で年賀状が出せなくなった事にショックを感じた。
                      それにしても昨日まで忙しかった。
                      副祭主(天理教式の葬儀の祭官)は2度目だけどミスだらけ。
                      一般の人には気付かれないけど、天理教関係者にはバレた。
                      でも、頑張ってたよ!俺は・・・。なんて、自分を励ましてます。




                      祖母が出直し(※1)して、葬儀を勤めた後の日記ですね。
                      自分の祖母とは言え、教会葬ですし、父も息子になりますが、
                      養子に出た身なので、会長として祭主(葬儀の祭官)を勤めました。
                      喪主は祖母の直系の跡取りでした。
                      葬儀屋との打合せを全て任されました。
                      父は私になんでもやらせました。
                      “習うより慣れろ”は、そんな父の姿勢を受継いだものですが、
                      正直、やらせる方がこんなにしんどいなんて、
                      当時は気が付かずに、よく親子喧嘩したものです。
                      息子にブーブー言われながらも、やらせてみて、
                      責任は取る!とデンと構えてくれていたことのありがたさが、
                      いなくなってジワジワと感じ入ります。


                      ※1 出直し http://www.tenrikyo.or.jp/jpn/?page_id=159参照

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